真空考:豊かなる無の世界へ

真空考:豊かなる無の世界へ

●林 主税 著 ●定価(本体2000円+税)  





真空は、科学の最後の未解決課題
真空技術を芯にして経済社会に貢献することを天命として
働いてきたつもりである。
しかし、日曜や飛行機の中では、
技術でない真空そのものについて、
思考をめぐらせてきた。
そして私は、真空は、
物理学と哲学にまたがる課題であると考えるようになった。
(著者あとがき より)



林 主税 著   著者紹介
真空考
  はじめに
     目次
     あとがき
     Amazon

真空は、科学の最後の未解決課題
真空技術を芯にして経済社会に貢献することを天命として働いてきたつもりである。
しかし、日曜や飛行機の中では、技術でない真空そのものについて、思考をめぐらせてきた。
そして私は、真空は、
物理学と哲学にまたがる課題であると考えるようになった。
(著者あとがき より)


  • A5判  上製
  • 221ページ
  • 定価(本体2000円+税)

  • ■著者紹介



    林 主税(はやし ちから)
    元株式会社アルバック会長。理学博士。1922 年? 2010 年。
    東京生まれ。中学校時代は台湾南部の都市・高雄で過ごす。1944 年
    東京帝国学理学部物理学科卒業。海軍技術科予備士官。1946年東京帝国大学理学部研
    究員、47 年助手。1956年日本真空技術(株)に入社、技術部長。71 年に代表取
    締役社長、86 年に代表取締役会長。世界の真空技術のトップランナーの一人として、
    その発展に寄与し、政府機関、大学、海外も含む学会などにおいても、多くの要職を
    担った。86 年から「林超微粒子プロジェクト」の総括責任者を務めた。その卓越
    した発想力と実行力は多くの人々を魅了してやまない。



    ■真空考 目次



    まえがき──小宇宙と真空について…………………………5
    第 1 部 真空をいかにとらえるか……………………………11
    第 1 章 真空考1──人文自然学的真空……………………………13

    §1 人文科学哲学的真空…………………………14 §2 常識の真空………………………………19 §3 ∞について…………………………………………24 §4 再び人文的真空について……………………………………30 §5 i nについての幻想……………33 §6 人の時間,物の時間,宇宙の時間……………………35
    第 2 章 真空考2──自然学的真空………………………………………41

    §1 ニュートン,ガリレオの力学的な話……………………42 §2 光源と受光素子と光と真空………………………61 §3 多様性……………………………73 §4 ドップラー効果…………………………………82 §5 時間の刻みの話………………………………………92 §6 走る電子…………………………101
    第 3 章 波を考える……………………………109

    §1 波の幻想1……………………………………110 §2 波の幻想2………………………………118 §3 波の幻想3 水の見せるセルフアラインメント…………… 120 §4 連続と不連続 真空技術の基礎を考える……………126
    第 4 章 圧力と力積………………………………………131

    粒子と壁の衝突……………………………………………132
     圧力の概念/なるべく実態的に考える  圧力からスパッタリング/平均値定理と統計  力積とエネルギー/むすび

    第 2 部 歴史のかかわりの中で真空を考える……………143

    第 5 章 真空の概念と歴史…………………………145
    真空概念の歴史……………………………146 宇宙と真空について……………………………………151
    第 6 章 真空の歴史に関する備忘録……………………………161
    現代の真空と解けない謎…………………………162 長い歴史をもつ真空技術………………………………168 寺田寅彦の物理 ………………………172 千里眼は真空中を走るのか? …………………176
    第 7 章 真空技術事始め ……………………………………………181
    §1 真空事始め ………………………182 §2 真空技術事始め ………………………189 §3 日本の真空事始め ……………………………………195
    第 8 章 真空技術の展望 …………………………………203
    21世紀真空科学技術の展望 ……………………………204  20世紀科学の遺産と真空  真空概念から真空技術へ  技術としての真空  産業経済と真空技術  真空技術が直面しているテーマ  宇宙の起源と真空および真空技術  真空が深く関係する科学テーマ  素粒子科学と真空  真空技術は今後も世界を動かしていく

    あとがき………………………………………………………219



    まえがき:小宇宙と真空について




     私の体験です。西欧クラシック音楽の名演奏会が終わった瞬間、静かで均一であた
    たかいエネルギーが、脳にも手足の先までも満ちてくることがあります。このような
    あいだは、時間も空間も意識しないように感じます。一方で、日本の美しい能舞台を
    鑑賞しているときは、鼓の音や能面をつけた名人の所作を受けとめながら、完全に自
    由な自然の時間をはっきりと意識していることに気がつきます。クラシック音楽のと
    きとは非常に対照的です。
     私は、この2つが明らかに違うと感じます。少し考えてみると、クラシック音楽の場
    合、終わりの瞬間が去って私の中に満ちてくるエネルギーとは、たとえてみれば、
    満ちて来る海の波の一部であるようなものとしての意識です。それに比べて能の場合
    は、終わった瞬間のことではなく、自然と一体のまま全体が流れてゆくものが前提に
    あって、たとえていうと、そうした中で、風も止まり、流水のせせらぎも止まった時
    間が、何度も意識に上がってくるのです。それはエネルギーが満ちてきて暖かくなる
    感覚・意識ではありません。そしてすべてが終わった後、ゆっくりと自身が自然の一
    部であるという意識が生まれてくる。何度も出てきます。
     音の無い時間は、「間」と呼ばれているものです。感性の鋭い一部の日本人は、ク
    ラシック音楽が始まる直前、たとえば指揮者が指揮棒を構えて止めたときに、この
    「間」を感じるようです。それは、これから起こることへの期待の瞬間です。これに
    対して、能の「間」とは、言ってみれば、美しい自然全体の流れが表現されることへ
    の期待かもしれません。
     自然科学者にとっては、西欧クラシック演奏の終わった瞬間も、演奏が始まる前の
    静けさも、ともに空白の時間に過ぎません。しかし、それは単なる空白ではなく、
    何ものかが潜在しています。それを私は「先験的真空の時間」と呼びたいと思います。
    能における「間」は、連続の中の不連続、間隔の時間と言えると思います。

     現代科学では、時間・空間と意識とは、ひとまずは別の話として扱っています。し
    かし周知のように、21世紀の科学者・技術者は、物質的な脳と精神的な意識の関係を、
    細胞や個体と環境との相互作用、さらには分子と環境の直接的相互作用のあり方とし
    て捉え始めています。
     それでも、関与する分子群の間には「隙間」があるわけです。その「隙間」はエネ
    ルギーの波の場であるわけですが、波のエネルギーは、量子(エネルギーのパルス)
    としてしか、巨視的な時間・空間の情報伝達には関わりません。逆に言うと、情報
    伝達が実現していない間は何もわからないという意味において、「隙間」は真空の
    場と考えるほかはないのです。
     そして文脈の全体からみると、真空の場とは、何らかの現象が起こるはずの「可能
    性の場」です。そう考えるのが最も合理的だと私は思います。真空の場の可能性とは、
    物理的には、エネルギーの変化と物質の変化の可能性ですが、それはまた、変化の
    連鎖を経て、個体の変化、個体の心の変化になる可能性でもあります。そして、生
    きている人の心の変化は、一人の人間(個)の魂の変化につながり、人の集まり(社
    会)では社会の精神の変化になってゆくのです。

     ところで、私がここで述べた「真空は可能性の場である」というテーゼは、哲学者
    に言わせれば、主観的考えにほかなりません。一方で、現代の量子力学研究者は、
    「真空は確率振幅の場である」と言うでしょう。これは科学技術的・客観的表現です。
    他方、はるか昔の古代の人々は、「真空は神のはたらきの場である」と考えたようで
    す。この場合、神のはたらきとは宗教にかかわる思想のことで、ある程度の客観性・
    社会性を持つに至った考え方でした。
     周知のように、「神のはたらきの場」から「確率振幅の場」へと、一足跳びに移っ
    たわけではありません。例えば古典力学(ニュートン力学)の時代が17世紀に始まり
    ました。古典力学に基づいた科学技術的・客観的な真空とは、「力のはたらきの可能
    性を保証している空間」とでも呼べるものでした。その可能性は、質量あるいは電気
    量または磁気量を持った物体を真空中に持ち込んだときに、いわば随伴して発生しま
    す。同じ物理的性質を持った物体を2個以上真空中に持ち込むと、相互に力が働き、
    運動(振動も含めて)が起こるわけです。
     そして真空の場は、多かれ少なかれ、エネルギーで満たされることになります。こ
    のエネルギーの場が、物質を1個持ち込んだだけでも随伴していると考えると、ポテ
    ンシャルエネルギーの場が発生している、と見なすことができます。
     空間の大きさが限られているとき、つまり閉じた空間であるとき、その中に物質が
    無くても、境界の外からエネルギーが侵入してくることは、普通は止めることができ
    ません。真空は、物質の運動にも、エネルギーの侵入にも全く邪魔をしないからです。
    つまり、閉じた空間であっても、その中のものは、侵入したエネルギーによって何
    らかの作用を受けます。そうした作用を外力による作用と言います。というわけで、
    古典力学においては、真空は「神のはたらきの場」を超えて、「力の働きの場、エ
    ネルギーが注ぎこまれる可能性の場」としたのでした。ただ、そうは言っても、力と
    エネルギーは、観測されてデータになるまでは観測者にはわからないのですから、
    「真空は可能性の場」ということに変わりはありません。量子論の時代になっても依
    然そうなのです。

     ところで、現実の世界、私たちの日常生活の中には、真空技術を利用・応用したさ
    まざまな例があふれています。真空パックなどは、スーパーマーケットの商品棚にま
    で置かれています。このような真空技術という場合の真空とは、「物質粒子とエネル
    ギーの密度がたいへん小さい時間や空間を利用する」という意味です。それゆえ、混
    乱を避けるためには、「真空技術」ではなく「技術真空」としておいたほうがよかっ
    たかもしれません。これは実際に真空技術発展を担ってきた1人の人間としての反省
    です。

     最後に「真空は実在か?」という問いについて、私の答えを申し述べておきます。
    真空技術、あるいは技術真空の真空はもちろん実在です。しかし「真空は可能性の場
    である」という場合の真空は、幻想とでも呼ぶべきものかもしれません。ただし、
    幻想も夢も私にとっては実在です。なぜなら、その中味自体は私の主観だからです。
    一方で、「確率振幅の場である」、「力のはたらきが力線の束(集まり)の場である」
    というときの真空の中味は、客観的な実在です。
     その一方で、「真空は神のはたらきの場である」といったときは、私にとっては、
    真空は幻想もしくは夢のようなものと言えます。もちろんそれは客観的な実在とはな
    ってはいませんが、先験的、根源的、創生的な時の流れの中での実在、というふうに
    思われるのです。もちろん、この場合の「時の流れ」とは時計の時間ではありません。
     アインシュタイン先生は「神はサイコロを振りたまわない」とつぶやいたそうです
    が、それでは、真空の場ではどうなのでしょうか? 先生は小宇宙(人の世界)は相
    対性の世界であるという物理学の真理を発見し、それを大宇宙の現実にも拡張した偉
    人ですが、そのこととは別に、神の真理の実在を信じておられた。信じるのに理由な
    どいらない、ということなのでしょう。
     大宇宙、大自然を理解しようとするのが、小宇宙(人)にとっての科学です。科学
    に神を持ち込めない・持ち込まないと仮に決めれば、「神のはたらきの場」というと
    きの真空は、科学の中には入れません。それなら、「根源的・創生的な時の流れ」と
    いう概念は、科学の中に入れないのでしょうか。もし入れないとすると、論理的に
    は、確率振幅は小宇宙の中での単なる実在にすぎず、大宇宙の真空の中には実在しな
    いことになります。したがって、私は、大宇宙の真空の中に確率振幅を持ち込む自由
    は許されていると考えているのです。

     実は、遠く古代ギリシャの時代から、真空の存在・非存在に関して議論が重ねられ
    てきました。デモクリトスは存在すると考え、アリストテレスは真空を認めませんで
    した。これは有名な話ですが、ただそこでは、光と真空の話は出てきませんでした。
    ところが、さまざまな国の神話の中には、ほとんど必ずといっていいほど、光の話が
    出てきます。もし人々が真空を神のはたらきの場と考えていたのであれば、「光の場
    としての真空」という概念は、実は先験的なものであったことになるのです。

     真空とは何か、なお誰もが納得する明快な答えがあるわけではありません。真空技
    術を担ってきた1人の人間として、私がこれまで考えてきた真空についての思いの一
    端を本書に書き下してみました。その中には、なお思考中のテーマも含まれます。少
    し面倒な議論を展開している話もあります。もし、これらの話をきっかけに、もう一
    度「真空とは何か」について、思いをめぐらせていただく機会が生まれたとしたら、
    それは私の望外の喜びです。
     最後に、特に若い世代の人々に、真空というテーマ、真空という科学はなお未開拓
    であることをぜひ認識していただき、この未開の分野に勇気を持って攻め込んでいた
    だくことをお願いしたいと思います。

    2010年8月

                                     著者






    あとがき



     当時の新技術開発事業団による林超微粒子プロジェクト(1981〜1986)が終わり、
    そのレポートを海外諸国にも発表してしばらくした頃、英国の科学論文誌ネイチャー
    の編集長ジョン・マドックスさんが、一人で茅ケ崎のアルバック(株)に訪ねて来ら
    れた。〔林超微粒子プロジェクトは、創造科学技術推進事業(ERATO)の最初
    の一つで、ERATO自体は現在も科学技術振興機構(JST)が継続している。〕
     林プロジェクトについての話がほぼ終わりに近づき、私は、「宇宙の真空の中にも
    超微粒子がたくさん浮いていると思うのです。天文学者の中には、そんなものはない
    と言われる人もいるのですが、あなたはどう思われますか?」と問いかけてみた。こ
    のあたりから、話題は「真空」に移り、対談は長々と続いていった。
     ケプラー、ガリレオ、ニュートン、ホイヘンス、J.C.マクスウェル、アインシュタ
    イン、ディラック、セグレ、…、素粒子学者と続いてきた物理家が、それぞれに真空
    像を持っていたわけだが、ジョン・マドックスさんによれば、結局、彼らにとって真
    空は「くずかごのような存在として扱われていた」とのことであった。取り付く足場
    さえ見つからない未解決の問題は、みんなそこに投げ込んできた、という意味であろ
    う。
     私は、月火水木金土のほとんどの時間を、真空技術を芯にして経済社会に貢献する
    ことを天命として働いてきたつもりであるが、日曜や飛行機の中では、技術でない真
    空そのものについて、さまざまに思考をめぐらせてきた。そして、真空は自然哲学的
    ・先験的概念であって、古代から現代にいたる中で、ときには神や仏の領域(虚空)
    の話とされたこともあったが、私は、真空は物理学と哲学にまたがるものであると考
    えるようになった。こうしてさらに、真空の側から物質と光の科学について考えを進
    めていった。
     そんなことを考えて何の役に立つのかと問われれば、私にとっては、会社経営のス
    トレスを解消するのに大いに役立った、と答えることになるだろう。
     マドックスさんとの真空対話では、私の40年あまりの「日曜科学・哲学」の内容を
    披瀝したわけだが、お互いに、話はたいへんはずんだ。そして彼の最後の言葉は「真
    空は科学の最後の未解決課題だね」だった。

     白日社の松尾義之さんは、日経サイエンスの編集者をしておられた頃から何度も声
    をかけてくださって、私の真空の話にも興味をもってくださった。そして、私の日曜
    真空考のメモの現物も見てくださり、印刷物にしようということになった。その内容
    はある意味では奇妙でもあり、専門の科学者、哲学者には間違いの多いものかもしれ
    ない。松尾さんには特に感謝したい。

     少し脱線することを二つほど付け加えておきたい。
     ずっと前から、私の日曜真空考の中で一つの疑問があった。それは、陽子(プロト
    ン)の寿命が1034年であるという理論家の話と、宇宙はビッグバンから始まってこれ
    まで140億年足らずであるということとは、どういうことなのか、であった。水素
    ももちろんビッグバンに由来するとなると、話の続きはどうなるのであろうか?
     理論家の計算と特定のお膳立てのもとで、陽子なり水素原子なりの別の物質粒子と
    の衝突・崩壊の確率を調べるとして、それから寿命へとつなげられるものであろうか?
     最近では、宇宙の真空は暗黒物質と暗黒エネルギーで満たされている、という話に
    なってきて、宇宙の真空に対する幻想は、これまでより複雑で豊富なっている。カ
    ミオカンデは、いつのまにか、ニュートリノの物理学に向かって実験データを重ねて
    いく装置になっているようで、陽子崩壊の話は棚上げになってしまったのかもしれな
    い。基礎科学とはそんなものなのであろう。
     二つ目の話は、技術真空に関することである。技術真空には、例えばマクスウェル
    の悪魔(デーモン)とか、気相の分子や原子による固体・液体の境界における反応の
    基礎といった問題が、残されている(後者は、古典的な技術真空の基礎としてアコモ
    デーション係数と片づけられてきたものである)。これらに関して、一つ一つの分子
    あるいは原子を追跡する技術が、いよいよ登場してもよさそうな時代になった。
     アコモデーション係数のほうは、確率統計によって、反応の時間空間と一つ一つの
    分子原子の反応とを、つなげて考えることができるようになるだろう(少なくとも低
    温においては)。この方向は、実は、統計論において、過去にさかのぼる時間と未来
    に向かう時間とを、等価に考えることにつながるはずだと私は思っている。そうする
    と、寿命とは、生物的な種の寿命と同じような概念になる。ならば、いったい陽子
    の宇宙真空における寿命とは、いかなることになるのであろうか。

    2010年9月

                                  著者
















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