きちんとわかる糖鎖工学

●産業技術総合研究所 著 ●定価(本体1500円+税)  

バイオの主役「糖鎖」の時代が始まる!



糖鎖は、核酸・タンパク質につぐ“第三の生命鎖”と期待されてきた。
しかし、簡単に分析できる装置がないため、その発展は限られていた。
つい最近、こうした状況をくつがえす画期的な新技術が開発され、
がん、感染症、免疫疾患、再生医療などの医学分野でも、
多くの具体的な成果が期待される時代に入った。
いよいよ「糖鎖の時代」がやってくる。



産業技術総合研究所 著   著者紹介
きちんとわかる糖鎖工学
  はじめに
     目次
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糖鎖は、核酸・タンパク質につぐ“第三の生命鎖”と期待されてきた。
しかし、簡単に分析できる装置がないため、その発展は限られていた。
つい最近、こうした状況をくつがえす画期的な新技術が開発され、
がん、感染症、免疫疾患、再生医療などの医学分野でも、
多くの具体的な成果が期待される時代に入った。
いよいよ「糖鎖の時代」がやってくる。


  • 四六判  並製
  • 332ページ
  • 定価(本体1500円+税)

  • ■著者紹介

    (第一部のインタビューイを含む)

    第一部、第二部
    鹿野司(しかの・つかさ)
    松尾義之(まつお・よしゆき)
    成松久(なりまつ・ひさし)
    池原譲(いけはら・ゆずる)

    第三部
    新間陽一(しんま・よういち)
    栂谷内晶(とがやち・あきら)
    亀山昭彦(かめやま・あきひこ)
    平林淳(ひらばやし・じゅん)
    千葉靖典(ちば・やすのり)
    鹿内俊秀(しかない・としひで)
    伊藤浩美(いとう・ひろみ)
    久野敦(くの・あつし)



    ■目次




    はじめに――飛躍の時を迎えた糖鎖研究 9 第一部 糖鎖工学を開拓する人々 ――語り手:成松久、亀山昭彦、平林淳 鹿内俊秀、池原譲、栂谷内晶 新間陽一、千葉靖典 聞き手:松尾義之(文責) 糖鎖遺伝子をすべて探し出せ! 24 質量分析法で糖鎖構造解析技術を開発 34 糖鎖プロファイリング装置を実用化 42 研究現場と一体で展開するインフォマティクス 51 がんマーカーを探せ! 57 免疫系に関わる糖鎖 66 酵母にヒト型糖鎖を作らせる 74 酵母でここまで糖鎖ができるようになった 82 第二部 生命科学と糖鎖研究 生命科学と糖鎖 90 糖鎖の種類と分類 96 糖鎖の生合成 99 植物の情報伝達を担う糖鎖 106 免疫系における糖鎖の役割 110 その他の糖鎖機能 114 糖転移酵素 118 がんの糖鎖生物学 124 まったく別の二つの研究が結びついたポドプラニン物語 125 進化生物学と糖鎖 132 第三部 糖鎖工学の技術と展開 第一章 糖鎖工学の基礎 139 糖鎖とは/N結合型糖鎖/O結合型糖鎖/プロテオグリカン 糖脂質/糖鎖の役割と有用性/腫瘍マーカー/免疫/感染症 再生医療/糖タンパク質製剤/糖鎖の解析法 糖鎖は外部との情報交換の主役 第二章 糖転移酵素 179 糖転移酵素とは/糖転移酵素の基質特異性/受容体基質糖鎖 ヒト糖転移酵素遺伝子の網羅的クローニング/フコース転移酵素ファミリー シアル酸転移酵素ファミリー/ガラクトース転移酵素ファミリー ABO式血液型酵素/N-アセチルグルコサミン転移酵素ファミリー pp-GalNAc-Tファミリー/MGAT5対MGAT3/C1GalT1対b3GnT6 間接的な競合/硫酸基の転移でも競合関係/糖転移酵素の遺伝子発現パターン 細胞内小器官における糖転移酵素の局在性と糖鎖構造 第三章 質量分析計による糖鎖構造解析技術 205 質量分析計による糖鎖構造解析技術の開発 糖鎖の「かたち」は一筋縄ではいかない/糖鎖構造はゲノムからは予測できない MSは糖鎖の構造解析にも強力なツール/MSで異性体をいかに判別するか MSによる糖鎖構造解析の原理/完全メチル化糖鎖を用いたデノボ解析 デノボ法からデータベースサーチ法へ/グライカンマスフィンガープリント法 ライブラリーサーチ法  糖鎖微量迅速解析システムの開発 217 ヒトゲノム解析の恩恵/糖転移酵素による糖鎖合成 糖鎖ライブラリーをつくる/糖鎖MSnスペクトルを測定するための装置 糖鎖MSnスペクトルデータベース 糖鎖微量迅速解析システム  より普遍的なシステムをめざして 226 どうして構造ごとにスペクトルに違いが生じるのか 枝ごとに断片化されやすさが異なる/断片化傾向の数値化 糖鎖断片化のテンプレート/MS/MSスペクトル再構成 これからの展望 第四章 レクチンマイクロアレイによる糖鎖構造解析技術 235 レクチンとは/いろいろなレクチン ヒトのレクチン/レクチンのファミリー レクチンの糖鎖解析への利用/結合力の弱さが強みに  フロンタル・アフィニティ・クロマトグラフィー(FAC) 246 ヘクト・バイ・ヘクト(一〇〇レクチン×一〇〇糖鎖)プロジェクト FACの原理/レクチンカラム/FACデータベースの作成 データベース照合による糖鎖プロファイリング/新規レクチンの解析にも応用  レクチンマイクロアレイの開発 254 レクチンをガラス基盤に固定化、レクチンの種類の選択 蛍光標識した糖鎖を結合しても、洗浄すると剥がれてしまう エバネッセント波の利用/糖鎖プロファイリング/オリゴ糖の糖鎖構造解析 抗体オーバーレイ法の開発/生細胞の糖鎖プロファイリング 第五章 糖鎖合成技術と酵母による合成 265 糖鎖を「読む」から「書く」へ 糖鎖の調製法――三つの合成法と天然物からの抽出法 糖転移酵素を利用した糖鎖合成/酵母にヒト糖転移酵素を作らせる 糖ペプチド・糖タンパク質の合成と医薬品/糖転移酵素法による合成戦略 大腸菌だって糖タンパク質は作れる!? さまざまな細胞を用いた糖タンパク質の生産系  酵母を使った複合糖質の生産 287 酵母とはどんな生物か/競争が激しいヒト型糖タンパク質生産 酵母の糖鎖改変と遺伝子導入  O結合型糖鎖を生産する酵母 293 ムチン型糖鎖生産系酵母の開発に着手/糖供与体 ゴルジ体への輸送/糖転移酵素の発現/基質の発現 ムチン型糖鎖発現に成功/活性を持つポドプラニンの発現にも成功  リソソーム病治療薬をめざして 300 リソソーム病とは何か/リソソームへの局在機構 酵素補充療法/マンノース-6-リン酸レセプター(M6PR) 酵母による治療薬生産の課題を絞り込む/M6Pを露出させることに成功 糖鎖創薬の時代を見据えて 第六章 糖鎖データベース 309 糖鎖データベース/糖鎖関連遺伝子データベース(GGDB) 質量分析スペクトルデータベース(GMDB) レクチンデータベース(LfDB) 糖タンパク質データベース(GlycoProtDB) 統合データベース(JCGGDB) 著者紹介 323 参考文献 331


    まえがき



    はじめに――飛躍の時を迎えた糖鎖研究


    第三の生命鎖

     核酸、タンパク質のほかに、すべての生物が持っている「糖鎖」という生体高分子
    がある。糖鎖は「第三の生命鎖」とも呼ばれ、生物の営みにおいてきわめて重
    要な役割を演じている。にもかかわらず、これまでは、ともすれば核酸やタンパク
    質の影に隠れた地味な存在だった。特に新聞や雑誌など一般メディアでの扱いはそ
    うだった。
     その最大の理由は、おそらく、糖鎖の持つ多様性にある。複雑なのである。核酸
    (DNAやRNA)なら四種類の単位分子(AT(U)GC)を考えればよい。タン
    パク質なら二〇種のアミノ酸でいい。しかも、核酸にせよタンパク質にせよ、それ
    らは基本的に単位分子が一次元に紐状に連結した生体高分子だ。もちろんタンパク
    質の機能はその立体構造にあるのだが、単位分子の連結という点では一次元である。
     ところが糖鎖は、単位分子である単糖(ヒトなら一〇種類)が、いろいろな位置
    で結合したり、枝分かれしたりする。しかも、それぞれの付き方でまったく別の機
    能を発揮する。まさに多様で複雑なのである。ということは、その構造や機能を調
    べるのは面倒で手間がかかるということだ。
     このような事情から、糖鎖の研究はこれまで、その重要性を認識した、限られた
    研究者を中心に進められてきた。しかしその結果、多くの注目すべき事実が明らか
    になった。それは、細胞内および細胞間の相互作用といった基礎生物学的な分野に
    とどまらず、がん、感染症、免疫疾患、再生医療といった医療分野にまで及んでいる。
     このような中で何が求められているかといえば、糖鎖の専門家以外の研究者でも、
    簡便に、迅速に、糖鎖構造解析ができる装置やシステムである。産業技術総
    合研究所 糖鎖医工学研究センター(および前身の糖鎖工学研究センター)は、まさに
    このような装置やシステムを開発してきたのである。それが質量分析計による糖鎖
    構造解析装置であり、レクチン(糖鎖に結合するタンパク質)による糖鎖構造プロ
    ファイリングシステムである。
     これらの登場により、糖鎖の研究はいままさに、大きく展開しようとしている。
    「第三の生命鎖」への多角的なアプローチが始まろうとしているのだ。

    糖鎖の違いは、なぜ存在するのか

     いちばん身近にイメージできる糖鎖の例は、何といっても血液型だろう。血液型
    には、ABO式血液型以外にも、すでに五〇種類以上の分類の仕方が知られている。
    そして、そのうちのあるものは、糖鎖の種類の違いによる分類だ。例えば、
    日本人には馴染み深いABO式の血液型も、赤血球の表面から生えている糖鎖の種類
    の違いに、O型とかA型とかB型という名前をつけたものだ。
     ABO式血液型の基本の糖鎖はO型で、この部分は、原則としてすべての型の赤
    血球の表面に存在している。この基本の糖鎖だけを生やした赤血球を持つ人のこと
    を、我々はO型と呼んでいる。また、基本の糖鎖の先に、N‐アセチルガラクトサ
    ミンという単糖が一個ついた糖鎖だけを持つ人をA型、ガラクトースという単糖が
    一個ついた糖鎖だけを持つ人をB型という。そして、一つの赤血球の表面から、A
    とBの二種類の糖鎖が生えている人がAB型だ。
     血液型性格占いには何の科学的根拠もないが、それはともかく、いったいなぜ、
    ヒトにはこんな血液型の違いが存在するのだろうか。違いがあるからには、何らか
    の、生物学的な意味があるのではないだろうか。
     実は、進化生物学の分野では、これはおそらく、病原体との関係で生じた多型で
    はないかと考えられている。血液型を決める糖鎖は、赤血球だけでなく、いろいろ
    な細胞の表面、例えば消化管の細胞の表面にも生えている。そして、その種類の違
    いによって、特定の病原体の感染危険度が違ってくる。
     ある病原体は、ある種類の糖鎖に取り付きやすいが別の種類の糖鎖には取り付き
    にくい。そのため、血液型の違いが、その病原体による下痢を起こす確率などを変
    えているらしい。
     実際、厳密にはまだ十分に解明されているとはいえないが、O型の人は下痢をし
    やすい代わりに、がんにかかりにくい傾向(あくまで統計的なものなので、絶対に
    下痢しやすいとか、がんに罹らないという話ではない)があるともいわれている。
    またルイス式という、これも赤血球表面にある糖鎖の違いで分類される血液型があ
    るが、これの型の違いが、胃潰瘍や胃がんの原因になるピロリ菌の感染のしやすさ
    に、影響を与えているらしい。

    糖鎖は細胞表面にびっしりと生えている!

     ところで、これまでの解説書などでは、糖鎖は細胞の表面から、ひょろひょろと、
    まばらに生えているように図解されることがほとんどだった。しかし、これ
    はイメージとしては、まったく正しくない。現実には、糖鎖は体の中のすべての細胞
    の表面からびっしりと、ほとんど隙間なく生えているといったほうがいい。
     細胞膜は、脂質二重膜という、ごく薄い油の膜にすぎない。ここに、たくさんの
    種類のタンパク質のかたまりが突き刺さっている、というのが細胞のざっくりした
    イメージだ。
     マクロの世界の実感では、ただの油の膜なんて、ひ弱で、とても肉体の基本を作
    るような、しっかりしたものには思えない。しかし、そんな弱々しく思えるものが、
    ミクロな世界では確かな構造を作り、形を保っている。ただし、それはじっ
    と静的に、落ち着いているわけではない。そこはブラウン運動と、アボガドロ数の世
    界。膨大な数の分子が、めまぐるしく動き回る中から、生命現象は生まれてくる。
     この油の膜に、突き刺さったり、突き抜けたり、何度も縫うような形で、さまざ
    まな種類のタンパク質が存在している。そのあるものは、非常に速く油の膜の中を
    動き回り、あるものは大きな集合体構造を作って、外からの信号を内部に伝えたり、
    必要な物質だけを出入りさせる扉となったり、多種多様な働きをしている。
     このような膜タンパク質から、糖鎖が無数に生えている。それはもう、わっさわ
    っさという感じである。だから実際問題、細胞が他の細胞や、細胞以外のものと出
    会うときには、糖鎖に接触せずにはいられない。また細胞膜に刺さったタンパク質
    同士も、糖鎖を介してまとまって、大きな構造を作り上げているものもある。
     つまり、糖鎖を抜きにした、細胞の機能や、細胞間のコミュニケーション、異物
    との応答などは考えられないといっていい。

    インフルエンザ感染も糖鎖がカギ

     インフルエンザ・ウイルスが細胞に侵入するとき、糖鎖は決定的な役割を果たし
    ている。
     話題になることが多い高病原性鳥インフルエンザのことを、H5N1型という型
    の名前で呼ぶことがある。このHとはヘマグルチニンというレクチンを表し、Nは
    ノイラミニダーゼ(シアリダーゼ)という酵素を表している。A型インフルエンザ
    ・ウイルスの粒子の表面からは、この二種類の糖タンパク質の棘(スパイク)がびっ
    しり生えている。
     また、ヒトに感染するA型インフルエンザ・ウイルスには、ヘマグルチニンが三
    種類(ヒトに感染しないものを含めれば一六種類)、ノイラミニダーゼが九種類あ
    って、それがどの組み合わせかで、ウイルスが分類されている。例えば歴史上最悪
    の被害をもたらした一九一八年のスペイン風邪はH1N1型だし、一九五七年に流
    行したアジアかぜはH2N2型、一九六八年の香港かぜはH3N2型だった。
     ヘマグルチニンは、別名、赤血球凝集素ともいわれていて、試験管に血液を入れ
    てこれを加えると、赤血球同士がくっついて固まってしまう。これは細胞の表面か
    ら突き出ているシアル酸という糖鎖に、ヘマグルチニンがくっつく性質があるから
    だ。ヘマグルチニンを介して、表面にシアル酸を生やした複数の赤血球がくっつき
    あうから、かたまりになる。
     そして、インフルエンザ・ウイルスは、この性質を使って感染を引き起こす。ウ
    イルスはまず、気道などの粘膜細胞の表面にあるシアル酸に、自分のヘマグルチニ
    ンを接着させるのだ。するとくっつかれた細胞は、エンドサイトーシスといって、
    自ら口を開いて、ウイルスを内部に飲み込んでしまう。
     ウイルスが強引に、細胞膜を突き破って進入するのではない。細胞の中にインフ
    ルエンザ・ウイルスが侵入できるのは、細胞が進んで内部に取り込む結果なのだ。
     つまりウイルスは、細胞にもともと備わっていた、外部から物質を取り入れるた
    めのスイッチをオンにして、内部に進入していく。細胞の扉の合い鍵を持っていて、
    自動ドアを作動させることで、細胞内に忍び込む。ウイルスが細胞の扉の鍵
    を擬装できると言うことは、細胞がもともと糖鎖を使って物質のやりとりをやってい
    るという、何よりの証拠でもある。
     内部に侵入したウイルスは、細胞本来の生命システムを乗っ取って増殖し、やが
    て外へと脱出しはじめる。
     この脱出のとき、宿主の細胞膜にあるシアル酸と、ウイルスのヘマグルチニンが、
    またくっついてしまい、そのままでは外へ散らばっていけない。そこで使わ
    れるのが、ウイルス表面にあるもう一つの糖タンパク質の棘、ノイラミニダーゼだ。
    このスパイクの酵素作用でシアル酸とヘマグルチニンの結合を切り離し、ウイルス
    粒子と細胞膜を分離するのである。
     インフルエンザの治療薬として知られているリレンザ(物質名ザナミビル)やタ
    ミフル(物質名オセルタミビル)は、このノイラミニダーゼの働きを阻害すること
    で、インフルエンザ・ウイルスが細胞の外に脱出できないようにしている。
     つまり、リレンザやタミフルなどの抗インフルエンザ薬は、長い時間をかけた、
    執念の糖鎖研究から生まれてきた薬なのである。 多様性の高さゆえに、糖鎖は避けられてきた  これらの事例を見ただけでも、生命にとって、いかに糖鎖が大切なものかわかる
    だろう。ところがその一方で、糖鎖は手に負えないむずかしい物質でもあった。バ
    イオ系の研究者たちにとって、糖鎖は重要だとは思うものの、ごく限られた専門家
    以外、手出しのできない難物と思われてきた。
     実際、ある著名なタンパク質の先生は、弟子たちに、研究の過程で糖が関与して
    いるとわかったら、その研究はそこで捨てなさいと指導していたという。糖を研究
    することは、迷宮に入ることと同じで、その先に進んでも、苦労が多い割に、得ら
    れる成果は少ないと教えていたそうだ。
     それにしても、いったい糖鎖の何が、それほどむずかしいのだろうか。それが冒
    頭で述べた複雑さ、多様性なのである。
     核酸の一つであるDNAは、四種類の塩基(ヌクレオチド)が、ホスホジエステ
    ル結合という一種類の結合方法で、ずらずらとつながったもの。DNAは、ねじら
    れ束ねられて、染色体を作るときは非常に複雑な立体構造を作るものの、基本的に
    は一本の紐にすぎない。だから、端から切っていけば、簡単に配列を決めることが
    できる。その意味で非常にシンプルだ。
     またタンパク質は、二〇種類のアミノ酸の分子が、ペプチド結合という一種類の
    結合でずらずらとつながった分子だ。タンパク質の場合、分子が折り畳まれて複雑
    な立体構造を作り、それではじめて機能するようになる。この立体構造を知るには、
    タンパク質を結晶化してX線結晶解析をしたり、NMRによる解析をする必要が
    あって、それは少々厄介ではある。しかし、これも引き延ばせば一本の紐なので、
    端から切っていけば少なくとも一次構造は決めることができる。
     また、DNA→RNA→タンパク質というプロセスで、鋳型通りに作られるの
    で、ゲノムプロジェクトで全DNAの配列がわかっている今、遺伝子の側からアミノ酸
    配列を知ることも簡単にできるようになっている。
     ところが糖鎖には、これらとは比べものにならないくらいの複雑さがある。まず、
    単位になる単糖からしてややこしい。例えば、同じ化学式のC6H12O6で表さ
    れる単糖でも、水酸基(―OH)がどの場所に付くかで、グルコース、ガラクトース、
    マンノースという異性体になる。
     しかも、構造の中に五員環や六員環が混じっていて、糖鎖が伸びるときには、そ
    の五角形や六角形のどれかの角の裏か表に、新しい単糖がつながっていく。つまり、
    DNAやタンパク質と違って、必ず真っ直ぐ紐状につながるわけではなく、複雑
    に枝分かれして伸びていく。もちろん、同じ単糖の組み合わせでできた糖鎖でも、
    構造が違えば性質や働きはまったく違ってしまう。
     実際には、人間の体内で使われている単糖は一〇種類ほどあるので、それを考慮
    すると、組み合わせの数は爆発的に多くなる(第一章の図1・4参照)。つまり、
    ある生命現象に、糖鎖が関わっているらしいと推測できても、どの糖鎖がどのよう
    に関わっているかを特定するのは、恐ろしくむずかしいわけだ。

    酵素で順番に生合成される糖鎖

     糖鎖のつながりは、糖転移酵素という酵素の働きで作られていく。これはつまり、
    単に遺伝子の配列を眺めただけでは、最終的にどんな糖鎖が合成されるか、まっ
    たくわからないということだ。
     最終的な糖鎖の形は、その糖鎖を合成する糖転移酵素が何種類あって、それがど
    んな形に糖鎖を結合するかを明らかにし、さらにそれらがどういう順番で働いてい
    くかまで見極めないと、突き止めることができない。
     しかも、糖転移酵素が働く順番は、ある程度ばらつくので、同じ組み合わせの糖
    転移酵素群から、同時に何種類かの糖鎖が合成されることもある。この曖昧さも、
    糖鎖をむずかしくしている問題の一つだ。
     ところで、DNAやタンパク質は、原核生物から我々まで、基本的にはすべて同
    じものが使われている。ところが、糖鎖の場合は、種が違うとまるで違うセットが
    使われている。
     体内で同じ機能を担っているのに、種が違うと、単糖の種類も、配列も違う糖鎖
    が使われている。逆にいえば、糖鎖の違いは、種の違いを決める、重大な要素であ
    るはずだ。
     例えばヒトの細胞にあるシアル酸は、九つ並んだ炭素鎖のうち、五番目の炭素に
    結合したアミノ基がアセチル化されているシアル酸(N-アセチルノイラミン酸とも
    呼ぶ)であるのに対し、マウスでは同位置がヒドロキシル化(N-グリコリルノイラ
    ミン酸とも呼ぶ)されているシアル酸も存在する。なお、五番目の炭素に水酸基を
    有するものをKDNと呼ぶ。
     また、この糖鎖の違いが、動物の病気の多くが、簡単には人に感染しない「種の
    壁」として働いていることも明らかになっている。
     生物の系統分類は、今のところ遺伝子の変異に基づいているが、将来的には、糖
    鎖を比較することで、これまでとはまた違った系統関係が見えてくる可能性もある。

    新しい解析技術が状況を一変させた

     このように、糖鎖はあまりに多様で複雑でいろいろなことに関わっているのに、
    そこにどんな種類の糖鎖があるかを特定することが、かなりむずかしい物質だった。
     ただし生物は、その莫大な糖鎖の可能性の一部しか利用していないから、その意
    味で、まったく歯が立たない物質というわけでもない。
     そして、時代は今まさに、転換点を迎えている。それは、長年の研究の蓄積に基
    づいて、非常に強力な分析の手段が確立したからだ。
     とくに大きいのは、二〇〇一年度から二〇〇五年度までの五年間で行われたNE
    DO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)による「糖鎖合成関連遺伝子ライブ
    ラリーの構築」プロジェクト(グライコ・ジーン――GGプロジェクト)および
    「糖鎖構造解析技術開発」プロジェクト(ストラクチャル・グライコミクス――SGプ
    ロジェクト)による成果だ。この計画は、そもそもヒトゲノムプロジェクトの次、
    ポストゲノムで何をやるべきかという観点からはじまった。
     日本には伝統的に糖鎖の研究者が多く、名実ともに世界のトップを走ってきた。
    例えば人間には、全部で二〇〇種類程度の糖鎖合成関連遺伝子があると予測されて
    いたが、GGプロジェクトでは、バイオインフォマティクスを用いて、あらゆるデ
    ータベースから糖鎖合成関連遺伝子を探索し、糖鎖合成の全体像を明らかにした。
    現在、そのうち一八四種類の糖鎖合成関連遺伝子(一四〇種類の糖転移酵素、三四
    種類の硫酸転移酵素、一〇種類の糖ヌクレオチドトランスポーター)が発見され、
    遺伝子配列も明らかになっている。この仕事の六割は、日本人の研究者によって成
    し遂げられたものだ。
     SGプロジェクトでは、糖鎖の専門家でなくても、糖鎖構造の解析を容易に行う
    ことができるシステムの開発が行われた。それが最初にも述べた新しい質量分析計
    の応用システムであり、レクチンを使った分析法である。医療や生命現象の幅広い
    分野で、糖鎖の関わりを簡単に明らかにできる時代になってきたのだ。
     これらの解析技術を用いることで、基礎的研究にとどまる印象のあった糖鎖の分
    野から、病気の診断や治療に直接つながる、応用的なさまざまな果実が得られつつ
    ある。糖鎖は、これから本当に面白くなっていく、まさに節目の時期を迎えている。
     本書では、どのようにしてこの糖鎖分野の新時代が切り開かれてきたか、そして
    これから広がっていくであろうさまざまな応用分野などについて紹介する。

    二〇〇八年八月                              著者


     




















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