北極圏へ――オーロラと地球温暖化に挑む

●赤祖父 俊一 著 ●定価(本体2400円+税)  

北極圏は宇宙と同じフロンティアだ。



北極圏は、すばらしい自然に満ちている。
人類未踏の地がいまなお残る宇宙と同じフロンティアだ。
どうしてオーロラ研究をすることになったのか。
北極圏は地球温暖化といかに密接に関係しているか。
“世界の赤祖父”が、科学と人生を率直に書き下した。


赤祖父 俊一 著   著者紹介
北極圏へ   まえがき
     目次
     あとがき
  
     Amazon

北極圏は、すばらしい自然に満ちている。
人類未踏の地がいまなお残る宇宙と同じフロンティアだ。
どうしてオーロラ研究をすることになったのか。
北極圏は地球温暖化といかに密接に関係しているか。
“世界の赤祖父”が、科学と人生を率直に書き下した。


  • 四六判  上製
  • 292ページ
  • 定価(本体2400円+税)

  • ■著者紹介

    赤祖父俊一(あかそふ・しゅんいち)
    一九三〇年長野県生まれ。
    一九五三年東北大学理学部地球物理学科を卒業し、
    同大学院修士課程在学中の五八年にアラスカ大学大学院に入学。
    博士号(Ph.D.)取得。同大学地球物理研究所助手、
    助教授を経て六四年に教授に就任した。
    八六年から九九年まで、アラスカ大学地球物理研究所の所長を務め、
    二〇〇〇年よりアラスカ大学国際北極圏研究センター所長
    (八七年の研究所長就任の条件として国籍を変更、アメリカ市民権を取得)。
    オーロラおよび地球電磁気学における世界的権威で、
    一九八一年には「現代科学の全分野で最も文献を引用された一〇〇〇人の科学者」
    の一人に選ばれた。
    英国王立天文学会チャップマン・メダル、日本学士院賞、
    アメリカ地球物理学会ジョン・フレミング賞、勲二等瑞宝章などを受けている。
    多数の論文や専門書にとどまらず科学の啓蒙にも熱心で、
    『オーロラ』『オーロラへの招待』(ともに中央公論新社)、
    『オーロラ・その謎と魅力』(岩波書店)などの名著を残している。
    日本での講演も多い。

    ■目次




      まえがき 5

    序章 思い出すままに 11

    第一章 新しい国際舞台――国際北極圏研究センター設立(一九九九年) 27

    第二章 故郷の山はありがたきかな――幼年と小学生時代 71

    第三章 国破れて山河あり――中学、高校(旧制)時代 85

    第四章 学問への目覚め――東北大学時代 97

    第五章 アラスカ大学地球物理研究所へ――一九五八年 123

    第六章 挑戦(一)――私のオーロラ研究の始まり 153

    第七章 挑戦(二)――オーロラ嵐とオーロラ発電機 183

    第八章 地球物理研究所の所長として 213

    第九章 自然現象の理解のために 267

      あとがき 289



    まえがき



     オーロラ研究で世界の中心的役割を果たしてきた研究所の一つ、アラスカ大学地球物理
    研究所の所長という重い責任を拝命してから(一九八六―一九九九)、アラスカ大
    学に来た私には、オーロラ研究とは別にもう一つ重要な使命があることに気がつい
    た。それは北極とその重要性を日本の人たちにもっと理解してもらわなくてはなら
    ないということであった。この地球物理研究所は米国の北極圏全般の研究の要でも
    あり、そのため北極圏がいかに、日本を含めた中緯度帯、いや汎地球的(グローバ
    ル)に大きな影響を及ぼすかということを勉強することができたためである。その
    ような観点から祖国日本の北極圏研究を見守るうちに、日本は北極圏研究では他の
    先進諸国よりはるかに後れている、いや、潜在能力は十分あるにもかかわらず後進
    国と言った方がよいほどであることに気がついた。良い研究があっても散発的で、
    国際的に(北極圏に領土のない英国やドイツなどと比較して)日本が北極圏研究に
    まとまった貢献をしているという認識は薄い。
     日本が科学の全分野、地球科学の全分野で貢献する必要はないかもしれない。しかし北
    極圏は、本書で述べるように、日本人の日常生活はもとより、地球温暖化というグ
    ローバルな問題を研究するためには最適地の一つでもある。さらに、例えば北極圏
    は渡り鳥の集散地でもあり、鳥インフルエンザの問題などでグローバルに関係して
    いる。したがって、北極圏は決して他人事、他国の問題ではない。いくつかのグロ
    ーバルな問題が集中する地域なのである。ところが残念ながら、日本の人たちにと
    って、北極圏は月の裏ほどの関心もない。どこか遠い真っ白な酷寒の地としか思わ
    れていない。何とかして少なくとも北極圏について興味、理解を持っていただきた
    く思う。そして若い研究者に北極圏研究に参加してほしいと思う。
     本書は北極圏の専門書ではない。しかし、まずはじめにこの重要な北極圏について紹介
    し、北極圏研究の立場から地球温暖化問題を論ずる。ほとんどの読者が驚くと思う
    が、地球温暖化問題が多くは誤って報道されていることを分かっていただけると思う。
     本書の第二の目的は、日本でオーロラについて講演する時に受ける「先生はどうしてオ
    ーロラの研究をすることになったのですか」という質問に答えたいと思ったことで
    ある。作家城山三郎氏が著書『アメリカ生きがいの旅』でアメリカを回られた折、
    最後にアラスカに立ち寄られ、第七回「オーロラ、我が命」の始めに「地球上には、
    時々、どうしてあんな生活をしているのだろうと思わせる人がある。アラスカの奥
    深くで、オーロラ研究に三十年の人生を捧げてきた赤祖父俊一教授の場合も、それ
    である。見たこともないオーロラ。その幻に魅せられて、どうして生涯を捧げる気
    になったのか。うらやましいし、また知りたい話である」と言っておいでになった。
    その後、実際には四十五年を過ぎてしまったが、そのような質問に答えることがで
    きれば、若い研究者だけでなく、一般市民の方々や子供たちにも何かのお役に立て
    るのではないかと思ってきた。
     それには、どうしても生い立ちから大学卒業まで(第二章〜第四章)について述べる必
    要があることに気がついた。昭和一桁世代として戦争を経験した以外は特別変わっ
    た子供時代を送ったわけでもないが、研究者として、また所長としての、自分のそ
    の後の行動の原点を探すと、子供時代に戻ることがある。両親の感化もあるであろう。
     アラスカ大学に留学したことが私を大きく変えたように思う。最初は武者修行であった。
    世界観が大きく変わった。オーロラ研究については、その当時まで深く信じられて
    いたオーロラの既成概念(パラダイム)について疑問を持ち、若輩(大学院学生、
    助教授)ながらそれに挑戦した(第五章〜第七章)。どの挑戦も十年以上、あるも
    のは二十年かかったが、最後には学界の基礎知識となった。
     私の研究者時代で最も嬉しかったことは、いろいろな賞をいただいたことよりも、一九
    八一年に、「現代全科学者で論文が最も多く引用された一〇〇〇人」の一人に選ば
    れたことであった。私の研究が他の研究者の何かの役に立ったということであろう。
    引用が多かった論文は、特定課題を取り扱ったものより、多くの研究を基礎にして
    新しい研究体系をまとめあげたものであり、その意味では「創造」研究であった。
    「創造」については誤った概念を持っている人が多い。そこで創造研究については
    第九章で私の経験を述べた。特に若い研究者に役立つことを希望する。
     研究生活の次は一九八六年にアラスカ大学地球物理研究所の所長の職を拝命した。米国
    の大学付属研究所はほとんど独立採算方式であるので、所長の仕事はある意味では
    会社のCEOの仕事に似ている。しかし、教授は社員と異なり、ほとんど独立して
    いる。研究所の所長は交響楽団の指揮者とも異なる。交響楽団にたとえれば、団員
    (研究者)は各々自分の得意とする楽器で自分の得意とする曲を勝手に演奏してい
    るにもかかわらず、指揮者(所長)は学界が認める「アラスカ大学地球物理研究所
    シンフォニー」を演奏しなければならない。所長は、羊や牛でなく猫か狼の牧場で
    働くカウボーイのようだと言った友人もいる。いずれにせよ、リーダーシップ経験
    がゼロのレベルから始まった所長であった。所長職を十三年務めた。
     今後日本の大学の科学研究態勢は大きく変わると聞く。したがって、大学付属研究所は
    米国の州立大学における研究体制に近くなり(米国には国立大学はない)、そのた
    めに私の経験(第一章、第八章)も役立つのではないかと思う。独立採算方式にな
    る場合、研究所所長よりむしろ研究者一人一人が自覚しなければ研究所は運営でき
    なくなることを知っていただきたい。
     この本はオーロラと北極圏の解説書ではない。一人の科学者の歩んだ紆余曲折の道程に
    ついてまとめたようなものである。科学に興味のある方には、オーロラを単なる一
    例として読んでいただければよい。第一章の北極圏研究所については、研究分野は
    異なっても個々の研究をまとめる総合研究方法の例として読んでいただければよい。
    企業の方々には、企業の仕事の一つの例として読んでいただければよいと思う。創
    造性について易しく説明し、科学においても、また企業においても「創造」の定義
    は同じであり、創造性が大切であることを強調した。これは日本の将来にとって重
    要である。何か読者のお役に立つことがあれば幸いである。失礼ではあるが、敬称
    は略させていただく。

    赤祖父俊一
    二〇〇六年二月


    ◇参考文献  城山三郎『アメリカ生きがいの旅』文藝春秋、一九八七年。


    あとがき




     チャップマン教授は、第五章で述べた八〇歳記念の『Sydney Chapman, Eighty, from his
    friends』の中の「Science and Scientists(科学と科学者)」という回想録の章の最初に
    次のように述べている。五七歳の友人が、会議などで自分より若い者が出席者の半
    数以上になったとき自分は年をとりつつあることが分かると話してくれたことがあ
    った(彼が四七歳の時であった)が、「現在私はその年齢を過ぎており、私の経験
    ではどんな会合でも私が一番年をとっている。しかし、私はそれを決して不愉快と
    は思わない。それは子供の頃、自動車や電車を見たくて、町に飛び出した時代から
    の生き残りであるということである」と。私もそれに近い年齢に達し、どんな会合
    でも同年配の友人を探すことが困難になってきた。私も若い人たちと話し合い、自
    分の経験が彼らに役立つことがあれば幸いであると思ってきた。
     昭和天皇に御進講した(第七章)後で、普通は最敬礼しているうちに御退場と思ってい
    たが、いつの間にか陛下は私のすぐ横に立っておられた。陛下は「今後の日米関係
    を案じている。お前は人生の半分を日本で、あとの半分を米国で過ごしてきたよう
    であるが、その経験を生かして、日米関係に役立ってほしい」というようなことを
    おっしゃられたことをはっきりと憶えている。全く思いもかけない瞬間の出来事で
    あったので、そしてまた緊張していたので、何とお答えしたかは憶えていない。そ
    れから一年後にアラスカ大学地球物理研究所所長の任を拝命したが、その後私が科
    学者として日米関係について貢献できるとすれば、科学者の交流を私のできる範囲
    で盛んにすることではないかと思った。そしてこれも国際北極圏研究センターを設
    立した動機になった。
     一方、思い出してみると、まず自分でも驚くことは私の人生が何と多くの方々のお蔭に
    よるものであったかということである。人生を山登りに例えれば、一歩一歩よじ登
    るときに、必ず私を指導してくださる人が現れた。私が何か貢献したとすれば、あ
    る意味で私はその人達の意志を代表したにすぎない。職業を問わず、また年齢を問
    わず、大切な曲がり角で、特に英語でmentor(賢明で誠実な助言をする教師、指導
    者)と表現される人達が必ず現れてくれた。この本にある実例を通して、職業の別
    を問わず、このmentorの大切さを知っていただければと思う(この語源は、叙事詩
    オデッセイの主役である古代ギリシャの大将オデュッセウスが息子の教育を託した、
    優れた指導者メントールである)。他の方々一人一人について書くとするとこの本
    の十倍ほどのスペースが必要になる。それらの方々について書けなかったのは残念
    であり申し訳なく思う。
     この本を出版するにあたり、出版を決定された白日社編集長松尾義之氏に感謝する。松
    尾氏には、日本経済新聞社の雑誌「サイエンス」を編集されておいでになった時に
    お世話になった。本著の編集にあたっては石川昂氏に御努力をいただいた。石川氏
    とは中央公論社時代、私の最初の日本語の著作、自然選書の『オーロラ 地球をと
    りまく放電現象』と中公新書『オーロラへの招待』の出版でお世話になって以来の
    交友である。また、この本の乱筆手書きの原稿をタイプし、下手な日本語を直し、
    献身的努力をしてくださった伊藤ゆり氏に深く感謝の意を表したく思う。彼女の御
    努力なしには、この本は世に出ることはなかったであろう。
     柳田幸雄氏、星野道夫夫人、毛利勝廣氏、宮司信吾氏、アラスカ大学地球物理研究所所
    員、国際北極圏研究センター所員、信濃毎日新聞社には写真を提供していただいた。
    深く感謝の意を表する次第である。

    二〇〇六年二月
    米国アラスカ州フェアバンクスにて
    赤祖父俊一













    白日社トップページに戻る